続・尻の焼き印

 一瞬のこととはいえ、二百度を超えるストーブの天板の上に生尻でしっかと座り、二十キロ近くはあったであろう体重をかけていたことになる。


 咄嗟に「あつい!」と言ったかどうかは忘れてしまった。ただ、石油ストーブの上に座ったことを母に言わぬまま、パンツとズボンを履いたことを覚えている。

 悪いことをした、言えば叱られる、そうした自覚があったからこそ、母に言わなかったのだろう。「いたい!」などと口にしたり、泣いたりすれば、叱られるであろうことを想像できたのは、前科があったに違いない。

 幼稚園は家の近所だったこともあり、一人で歩いて通っていたのだけれど、歩くたびに火傷を負った尻とパンツが擦れて痛むのだ。幼稚園に着けば、腰かけて、立ち上がってが日に何度もあり、これもまた痛い。

 幼稚園から家に帰るも、まだ母に言わずにいた。とっくにギブアップしてもよさそうなものだけど、よほど叱られるのが嫌だったのだろう。
 
 夕方になり、兄とおやつの奪い合いでもしたのか、喧嘩に。母が飛んできて、止めに入る。「喧嘩するんじゃないの!二人ともお尻を出しなさい!」となったのだ。薄暗い廊下で、尻の火傷が知られてしまう恐怖と傷口が擦れる痛みに耐えながらパンツを下ろすと、驚いた母が大声で叫ぶ。

 「ちょーっと、やつみ、なにこれ!」

 「…ストーブの上にすわったの」

と、ついに白状を。

 「なんでそんなことしたの? 言わなきゃダメでしょ」

 「だって叱られるもん。痛いよ、うぇーん」

と、我慢は限界を超え、大泣きを。

 母に気づいてもらい安心したのか、そのあとの記憶は残っていない。
 火傷の痕はやがて焼き印となり、しばらく残っていたものの、中学生の時だったか思い出した時には消えていた。

 ここまで書いたところで、見間違えはなかったかと、今、改めてホテルの部屋にある全身鏡で確認してみると、やはりそれらしき焼き印はなく、鏡に映っているのは覇気のないただの中年の尻だ。

 あまりものを言わなくなった母は、今でもこの話をするたびに声を出して笑っている。

 どうやら飽きのこない話らしい。

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