尻の焼き印

 どこの家庭と比べたわけではないけれど、どちらかといえばしつけに厳しい家庭に育ったように思う。
 食事の際に音を立てることは厳禁だったし、スケジュール表なるものを毎日こと細かに書かされていた。殴られた、投げ飛ばされた、などということは何度となくあった。


 そういえば、学校でも先生に拳骨を食らったり、出席簿で叩かれたりと、そういう時代だったのかもしれない。同じような経験をされた同輩の方は少なからずいるような気がする。

 では、毎朝のマラソンはどうだろう。
 四歳の時にはじまった日課で、通園前の早朝にマラソンをする、いや、させられるのだ。「走りたくない」などと言えるはずもなく、ただ黙って走るのだった。

 当時は東京に住んでいて、夏の暑さも冬の寒さもそれほどではなかっただろうけど、辛かったのは年長、小一と二年間を過ごしたニューヨークの冬のことだ。
 起床は六時、あたりはまだ暗い。北国で生まれ育ったわけではない子供が、零下十度を下回る寒さの中を走るのだ。

 手袋と帽子はもちろんこと、走りながらまともに口呼吸などできたものではないから、冷たい風が喉に入らぬようにと顔の下半分を覆うようなマスクをし、車に牽かれないようにと、反射板のついたたすきをかけてフル装備だ。
 とにかく寒くて、辛くて、なんのために走っているのかもわからず、「嫌だ」、「寒い」など弱音を吐くことなど許されなかった。

 と、やや暗い話になってしまったけど、ここからは「クスっ」ぐらいには笑えるかもしれないから、このまま読み進めてほしい。

 あれは幼稚園の年少、冬の時のこと。
 起床すると、まず顔を洗い、トレーニングウェアに着替えて、お決まりのコースとなった町内の並木道を走る。

 時間にして二十分ぐらいのことだった気がするけども、冬でも汗をかくから、帰宅後にはトレーニングウェアだけでなく、アンダーシャツもパンツも脱いで、幼稚園の制服に着替えてから朝食に、これがルーティーンとなっていた。
 ところが、ぐずぐずした子供だったから、そうてきぱきとは進まず、脱いだらすぐに着ればいいものを裸のままぼーっとしていたり、ミニカーで遊んだりするのだけれど。

 そして、しでかすのだ。
 パンツを履かぬまま、燃焼筒が真っ赤に焼けた石油ストーブの天板の上に座ったのだ ―― 。

つづく

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