幼少の頃、祖母も母も孫、息子の頭が大きいことを暗に、いや、しっかりと認めていたものの、当の本人にそうした自覚はなかった。
まだ容姿を気にする歳ではなかったし、頭の大きさを意識する場面がなかったからだろう。
しかし、それは時間の問題だった。大きな頭であることを意識させられる日がやってくるのだった。
あれは忘れもしない小学三年生の算数の授業中のこと。
教室で後ろの席に座る女子が突然「先生、やつみの頭が大きくて、黒板が見えません」と言い放ったのだ。
優しい担任の先生は「そういうことを言ってはいけません」と注意してくださったけど、言葉を失いながら振り返りざまに見たその子の「言ってやったわ」と言わんばかりの勝ち誇った顔と、小さな教室に響いた皆の笑い声は未だ記憶に残る。
してやったり −− 開き直ったかのような態度が許せなかった。ごめんなさい、と謝る場面だろうに。
世はプロレス全盛の時代にあった。ゴールデンタイムには毎週のテレビ中継があり、プロレスを題材にしたアニメが子供たちの間で流行っていた。
クラスの皆の笑いをとり、一躍ヒーローとなった女子にヘッドバッド、ようするに頭突きの一発を見舞っていたら、その大きな頭は石頭でもあったから与えるダメージは相当に大きかったはずだ。
けれども、暴力を振るってはならず、少年八洋がなりたいのはプロレスラーではなく、レーサーだったから止めておいた。
おもえば、その子は小柄で、頭も顔も小さかったから、視界をさえぎるその頭がより大きく見えたのかもしれなかった。
成績優秀の子だったし、勉強の邪魔をしてすまなかったと、この歳にもなるとそう思ったりもする。
いや、すべきは謝りではなく、時効か。
つづく