続・やつみちゃん

 「やつみちゃん牛乳はそのあたりのスーパーとかで売ってっから」

 一昨年の秋に投稿した やつみちゃん を読んでくれた友人からのメッセージに言葉を失った。

 八ヶ岳乳業のその牛乳は、地元八ヶ岳で生産販売されているものだとばかり思い込んでいた自分が恥ずかしい。

 幼少の頃からどうも思い込みが激しくていけない。
 僕をよく知る人は今ごろ「そうだ」、「そうよ」と、大きく頷いているか、うんざりしているように思う。

 牛乳、牛乳と書いてきたけれど、実は牛乳を飲む習慣がなくて、もう何年も口にしていない。
 スーパーやコンビニに行っても乳製品の置かれたコーナーに立ち止まることはないし、駅前にある東急ストアだとかいうスーパーで八ヶ岳牛乳を思い出しても、あえて陳列棚に目をむけないようにしている。楽しみはとっておきたいのだ。

 しばらくぶりに飲む牛乳は、八ヶ岳で八ヶ岳牛乳を味わうことに決めている。
 八ヶ岳乳業を訪ね、まずはパッケージに描かれた愛くるしいやつみちゃんをまじまじと見つめる。次に蓋を開け、ぐいと飲み干す。この時、腰のあたりに手を当てながら飲むのもいいかもしれない。それから、ゆるい口元に気をつけよう、と想像は膨らみに膨らむ。

 八ヶ岳乳業を訪ねたとしても直接販売をしていなければ、牛乳を飲まずにすごすごと引き返すことになるはずで、それでも、現地で飲めるものと信じている。
 調べればすぐにわかることだろうけど、調べずに行くこともまた楽しみとして。

 八ヶ岳に行ったなら、もうひとつ訪れてみたい場所がある。
 三十六年前の夏にパンツを落として恥ずかしい思いをした宿泊施設である。あやふやな記憶ながら板橋区の保養所だったと思う。
 覚えているのは、パンツを探しに猛烈な速さで独りかけっこをした長い廊下だ。大浴場へとつながるそこには赤いカーペットが敷かれ、木々を眺める大きな窓があった。

 町でもどこでも知らない土地に訪れることも楽しみとなるけれど、どこに行こうかと考える時、決まって思い出の地にクルマを走らせたくなる ―― 記憶を辿って八ヶ岳へ。


 次回は、己の頭について書いてみたい。「先生、やつみの頭が大きくて黒板が見えません」ーー 忘れえぬ後ろに座る女子の叫びをはじめ、この大きな頭から生まれたエピソードはいくつもあって、一本の記事には書き切れないから連載に。

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