知人から送られてきたメールに添付されたファイルを開くと、画面いっぱいに牛のイラストが広がった。
その牛は、八ヶ岳乳業株式会社のマスコットキャラクター「やつみちゃん」なのだとか。八月八日生まれの八歳、八が三つで「やつみ」と名づけられたらしい。
もう一方のやつみ、ようするに僕の名前は八つの海を意味し、しかしそのまま八海としたのでは、「はっかい」と読まれる可能性が多大にあって、読みが同じ孫悟空の「猪八戒(ちょはっかい)」とからかわれる心配ありと、海を意味する洋をとり、「八洋」となった。実話である。
名前の由来は違えど、同じ読み名のキャラクターがいるとは思いもしなかった。
恥ずかしさを感じながらも、読まれもしないブログだから書いてしまうけれど、実を言うと、母方の伯母に物心がついた時分から今日にいたるまで「やつみちゃん」と呼ばれている。
二十歳を過ぎた頃だったか「いつまでも『やつみちゃん』と呼んだりしたら悪いわよね」と言われはしたものの、長年の「ちゃん呼び」を「くん呼び」や「さん呼び」に変えることに無理があったのか、その日から二十年以上の時が過ぎた今も変わることなく、おそらくこの先も「やつみちゃん」と呼ばれるのだと思う。
恥ずかしい話にはつづきがある。人ではなく、牛の方の「やつみちゃん」の住まう八ヶ岳は、僕にとって恥ずかしの地だ。
小学生の時に所属していた町内会の軟式野球チームの夏合宿の地が八ヶ岳だった。
練習を終え、宿舎の大浴場でメンバーの皆と汗を洗い流し、部屋に戻ると脱いだパンツがなくなっていることに気がついた。
慌てて大浴場の脱衣所に戻るも、パンツは見つからなかった。
「もしかしたらちゃんと部屋に持っていったかな」と思い直して、チームメイトの待つ食堂へと向かった。
いざ、皆でテーブルを囲み、お腹を空かして「いただきます」の号令を今や遅しと待っていると、監督が白い布状のものを頭上にゆらゆらと振りながら「おい、誰か廊下にパンツを落とした奴いないか?」と大声で。
コーチやメンバー皆が一斉に笑い出し、食堂は沸きに沸いた。立ち上がって手を叩いて大笑いしたセカンドを守っていた彼は、先輩とはいえ今もって憎い。
当時の小学生のパンツといえば、グンゼ、またはアサヒ、あるいはヨーカドー、そのいずれかの純白のパンツをみなが履いていた。少なくとも東京は板橋の常盤台に住む子供達はそうだった。
そうした “お揃い” のパンツとはいえ、いささかくたびれた感のあるそれは間違いなくマイパンツだった。自分の抜け殻である。遠目にでもわかる。
しかし、極度の恥ずかしがりやの少年八洋は、女の子のいない場とはいえ「はい、僕のです。やつみちゃんのです」とは言い出せなかったのだ。三十四年目の告白である。
帰国したら、やつみちゃんのミルクを味わいに八ヶ岳までクルマを走らせよう。
長野のワインディングロードを楽しんだあとに飲む一杯は、美味しいに違いない。
